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真の勝者は守旧派

田中康夫が敗れた。予想外であった。当選直後の村井氏にもやや意外といった観の表情が見られた。憔悴と落胆した田中康夫には落選がにわかには信じがたいという面持ちがあった。
選挙戦は厳しいと見られたが、対立候補が村井氏に一本化される前の世論調査では田中康夫の支持率はやや上向いていたし、県民の関心も9割と高かった。それが前回をかなり下回る投票率になり、下がった分は田中康夫を支持した無党派の棄権という結果になった。これが敗北の直接の原因だろう。
逆に旧来型の組織選挙を展開した村井派が有利になった。投票率が前回並みであれば、おそらく田中康夫が当選したであろう。あるいは足を運ばなかった無党派の中には、またぞろの旧来型組織選挙と旧来型政治家の村井氏を見て田中康夫は当選するとやや安心してしまったのかもしれない。結果にほぞをかんでも後の祭だ。
しかし、村井氏の当選は村井氏の勝利とは言いがたい。彼を担ぎ出し支持した主役は守旧派と謀反人の元有志・茅野實氏、県内屈指の経済人で選対責任者となった安川氏ら財界であった。県職員の90%、県会議員の80%、市町村長の80以上が反田中だった。さらに県職労の加盟する連合、政党では自民党と公明党が反田中を先導した。まさに翼賛的反田中体制の勝利であった。守旧派は政界を引退していた村井氏をわざわざ直前に候補に押し立て、一本化調整という古い密室的なやり方までして立候補していた若林氏を下ろした。
引退を覆し老齢にもかかわらず出馬した村井氏は、市町村をサポ-トする県政という主張以外は理念も政策も何もなかった。県知事に立候補しながら「信州は消えてもいい」とまで言いきった人である。途中で公約を出したぐらいで県政には無知に近い認識しかなかったといっていい。ただ田中下ろしのために担ぎ出されたとしか見えない。
それが当選してしまった。守旧派の勝利という以外の評価はない。あろうことか田中康夫は闘って来たその敵に負けた。改革は挫折した。後戻りを心配する声があがるが、時すでに遅い。6年前の大政翼賛体制の復活は目前となった。ああ、信州の選択は見事なり!

版元無視![2]

直販の委託で、納品・回収は当社負担である。書店にはカケラのリスクもない。
どう売るか、そのために平台か棚かは店の権限であるから不問にするとしても、
この態度に熱意は感じがたい。
これを書籍におきかえても事態はそうは変わらない。
それどころか「売れますか」と実に冷ややかだ。
じかに確認できる地方の直販にしてこれだから、取次の大小を問わず
全国販売の実情は推して知るべしだ。

全国の書店に並ぶとうたう中央の自費出版では以前、気付いた作者の
「話が違う」というクレームが続出した。
これには、版元の誇大コピーと配本実態の非公開という問題のほかに、
前述したような書店側の姿勢・売り方も災いしていたにちがいない。
が、これを書店側にたってみれば、大手版元・取次の配本を最優先せざるをえない事情にもよろう。
こういうトライアングルの悪循環がさらに延々とつづくかのごとき様相に
出版環境はおおわれている。
これを断つには、既成・従来型の破壊しかあるまい。挑戦の模索が始まった。

版元無視![1]

たまたま、ある大手チェーンの書店に寄った。
販売後1カ月の雑誌を見たら、平台にも棚にも一冊として無い。完売?まさか!
今まで良くても60%だから、奇異におもって店員に尋ねた。
完売どころか売場の奥にある在庫置場にしまってあった。

理由は表紙にある見出しの一語「入園準備」が終わったからと言う。
4、5月が企画のメインなので抗議した。
よもや見分に来るとはおもわなかったであろうその店員は、
「またおきます」と言いながら持ってきた。

どうやら2週間ほどでひきあげたようだ。本部とそんな期間では取引していない。
もちろん店からは何の相談も連絡もなかった。これでは版元はたまらない!
もちろんこんな店はわずかだが、これに近い不愉快な事例はいくらでもある

無料紙誌も出版か?

崩壊現象をもっとも象徴するのは、無料紙誌の沸騰であろう。いまや首都の出版東京村をも席巻する勢いである。無料紙誌は俗にフリーぺーパー(以下FP)と言われ、各戸配布や自由に持っていける場所に置く方法で出回っている。あらかたは中綴か二つ折だが、一部には冊子もあって出版物に劣らぬ出来映えのものも見られる。
内容も昨今はコンテンツや制作が進化してきたようで、出版顔負けのFPさえあるという。これには出版系の進出や人材の流出も寄与しているだろう。
20年前には散見されるほどであったが、気がつけば巷はFPの洪水である。
私は20年ぐらい前に中日新聞系のFPに関係し、約10年前から2、3年ほど有料と無料を併用した雑誌を出版した。いっとき無料紙も出した。たしか当時はFPという言葉は無かったように記憶するが、出版発の意識が強かったため、FPの追求はむろん市場の流れを考えるところにはいかなかった。それが今では、遅きに失した観もあるがFPに力を入れはじめた。併用あるいはミックスよりもさらに一歩踏み出した展開を考えるところへきている。
このFPを出版と言って憚らない人もいる。その人の出自がFPであるにせよ、これがすんなり通る世情になった。
FPは、主が広告で、従の記事が充実してきているといっても、複数の企業PRの代理媒体がその本質であろう。それを自費出版に倣えば、正確には無料企業PR情報紙誌と呼ぶべきだ。がそうは言わず、FPなのである。さらに出版とも言われだした。
お金の点では、出版の雑誌の収入は広告と販売、FPは広告のみ。発行責任は両方ともその収入先に対してとなる。責任の大きな違いは読者にあると言っていい。それは出版の企画と自費の本来的な違いに近い。
とまれ、FPに倣えば、自費は自由な出版と言うべきだろう。従来型は超え、破るしかない。革命!

ある若者の死

春浅き伊那谷の土に君還る
なぜ死に急ぐか若き血潮

野辺送りの時にうかんだままを詠んでみた。若者は息子が高校で野球に明け暮れたときの仲間だった。突然の訃報をはじめは、突発的に起こった身体の異変が原因らしいと聞いた。参列までもなかろうと思ったが、翌朝、自殺と知った。やや迷ったが、5年前の残影にひかれて出かけた。

身長が190cmもあった。体格だけでなく発する雰囲気がすこし大人びていた。気も意思も息子はむろん他の仲間より強そうに見えた。副キャプテンとしてまとめリードする力もあった。
そんな印象と死に落差があった。そこが気にかかった。

無断欠勤していたという。無断はよほどだ。会社で何かがあり、何かで悩んでいたとしても、みずから命を絶つとは尋常ではない。尋常ならざる事態や事故・トラブルでもあったのだろうか、あるいはそれにまきこまれたか。こう想像せざるをえないが、事実はいっさい解らない。

勤めていた東京の会社からは誰も来なかった。弔電のみ。どんな会社か何も聞かされなかったが、それにしても奇異であった。この事実が死の真相を知る手がかりになりそうだ、と思った。
が、これは感想にすぎない。若者の不運の死を 悼みながら、
ふと彼の短い23歳の人生を「メモリアルBOOK」として遺せれば、と想った。

中学・高校・野球部の同期が大勢集まった。悲しみの嗚咽が最後まで止まなかった。恩師で「お寺あそび」を出版してくれたばかりの宮脇瑞穂先生の弔辞は、沈着なうちに悔しさがにじみ胸が痛んだ。
若者は霊峰駒ケ岳を望む小高い丘の上に眠った。あたりには、満開の白梅とほころびはじめた一本の桜が、千年の春を告げていた。

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