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もう疲れたの?

朝日は田中落選を県民の改革「疲れ」と評した。田中康夫が大半の県議・首長と対立し続けたから、それに県民はうんざりし「調整型」を選んだという。朝日の世論調査では6割が「協調性」を重視したという結果から考えたようである。
質問が「知事に求められる資質」であったというから、「決断力」を上回ることははじめから分かりきっていたというべきだ。そのうえで対立に辟易とした県民の改革疲れを田中落選の主因にするのはあまりの飛躍だ。というよりも分析が甘く表面的すぎる。
改革疲れというよりも、改革倦厭ム-ドが広がった。その主役は田中知事の生みの親と言われたあの茅野實の謀反と改革反対派の県議会守旧派である。特に反田中の急先鋒に転じた茅野實の果たした改革反対の田中下ろし攻撃はその影響が絶大であった。
その意味や真相はほとんど無視されいる。唯一近刊の「心の壁を壊す信州革命」が信州の恥といえる元有志の変節を鋭く描いて見事である。
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超か反か

知事選のことなので、もちろん博打の話ではない。当選した村井氏は出馬以来、「私の立場は反田中でなく超田中」と繰り返し言い、改革の継承を滲ませていたという。当選後は「6年前には後戻りしない」と断言した。さて、その本心は真実か?
「超」であれば改革の継承と理解できるが、田中改革のどこを評価し継承するかは全く不明である。選挙戦術上田中康夫との違いを明確にする必要があったにせよ、その点は一言も聞かれなかった。「超田中」は田中改革を超える改革の実現を意味する。それが何かを不問にしたまま、市町村を支援する県政を唯一の対立軸として主張した。とすればそれは、支持した大半の市町村長におもねて田中県政の弱点であった市町村長との対立を失政として煽りたてんとする反田中戦術としか考えようがない。
当選翌日の会見では、「見せかけはしたくない」とガラス張り知事室の廃止や脱ダム宣言の見直しなどを語ったが、全般に今後はどうするのかという具体策は皆無だつた。田中改革の否定や疑問視ばかりで、改革を継承するなどという意向も意思も皆無といえる内容である。ただ田中色の一掃だけが狙いというほかない。
こう見てくれば、村井氏の「超田中」は偽装で、本質は「反田中」と断定せざるをえない。「超」は「反田中」の偽装だけでなく、改革反対派の偽装かもしれない。その化けの皮がはがれつつあるが、あの郵政改革にいかなる理念・理論をもって反対し、なぜ結局は引退したのかを訊ねれば、偽装の真偽のほどが晴れるともいえる。

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歓喜の守旧派

村井氏の祝勝会場となった事務所には6年ぶりに我が家へ帰ったかのような喜びがあふれた。自民党県連幹事長で元県政会・守旧派のドンの石田氏は感極まったように仲間と抱き合い、「6年もかかった」と歓喜と安堵の入り混じった声を上げた。ほかにも、やっと田中下ろしの宿願が叶ったと喜びながら握手しあう場面が続いた。その石田氏は、改革はする、改革の後戻りはない、とインタビュ-で話したが、言葉だけでその中味は一言半句もなかった。
村井氏は翌日、世界も日本も変わったから「後戻りなんてしっこない」と言ったが、選対長野支部長だったという鷲沢長野市長は、淺川ダムの治水対策で「ダムの選択肢はあるはず」と明言した。その鷲沢氏は、県民が安心感を求めてようやく目覚めたとご満悦だったが、村井氏を支持した県民でさえその大勢は田中改革の方向には賛成していることを知らないのだろうか。
田中憎しの田中下ろしでしかなかったためか、田中改革を評価する声も、その改革の継承に触れる話もまったくなかった。
田中落選に「安堵の表情」に包まれたのが県職員だった。「強烈な個性のトップの退場にほっとした表情を見せた」という職員が堂々と喜びの声を披露した。「大変よかった」「やる気を失っていた」「人をうまく使えない」など。田中康夫の手法に限界と問題があったにせよ、作家らしさ以外の評価は少ない。
早くも田中改革の全否定が始まった。それが後戻りではないとする説明と改革の具体的な政策を村井氏は直ちに明らかにすべきである。

真の勝者は守旧派

田中康夫が敗れた。予想外であった。当選直後の村井氏にもやや意外といった観の表情が見られた。憔悴と落胆した田中康夫には落選がにわかには信じがたいという面持ちがあった。
選挙戦は厳しいと見られたが、対立候補が村井氏に一本化される前の世論調査では田中康夫の支持率はやや上向いていたし、県民の関心も9割と高かった。それが前回をかなり下回る投票率になり、下がった分は田中康夫を支持した無党派の棄権という結果になった。これが敗北の直接の原因だろう。
逆に旧来型の組織選挙を展開した村井派が有利になった。投票率が前回並みであれば、おそらく田中康夫が当選したであろう。あるいは足を運ばなかった無党派の中には、またぞろの旧来型組織選挙と旧来型政治家の村井氏を見て田中康夫は当選するとやや安心してしまったのかもしれない。結果にほぞをかんでも後の祭だ。
しかし、村井氏の当選は村井氏の勝利とは言いがたい。彼を担ぎ出し支持した主役は守旧派と謀反人の元有志・茅野實氏、県内屈指の経済人で選対責任者となった安川氏ら財界であった。県職員の90%、県会議員の80%、市町村長の80以上が反田中だった。さらに県職労の加盟する連合、政党では自民党と公明党が反田中を先導した。まさに翼賛的反田中体制の勝利であった。守旧派は政界を引退していた村井氏をわざわざ直前に候補に押し立て、一本化調整という古い密室的なやり方までして立候補していた若林氏を下ろした。
引退を覆し老齢にもかかわらず出馬した村井氏は、市町村をサポ-トする県政という主張以外は理念も政策も何もなかった。県知事に立候補しながら「信州は消えてもいい」とまで言いきった人である。途中で公約を出したぐらいで県政には無知に近い認識しかなかったといっていい。ただ田中下ろしのために担ぎ出されたとしか見えない。
それが当選してしまった。守旧派の勝利という以外の評価はない。あろうことか田中康夫は闘って来たその敵に負けた。改革は挫折した。後戻りを心配する声があがるが、時すでに遅い。6年前の大政翼賛体制の復活は目前となった。ああ、信州の選択は見事なり!

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