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結局は自費出版[2]

さらに紙媒体のため完成品が印刷と重なる地方ほど
この影響が大きいと思う。作るという点からいけば、
これに関与するものはだれでも参入できる。

が、そもそも出版は印刷とは異質の事業である。
過去、現在、未来の社会の姿を表現するのがその本道であり、
印刷は表現手段である。すくなくともそのすべてではない。

たとえばブログも印刷とは違った一つの表現方法と言える。
つまり、印刷もブログも、それ自体では出版とはならない。

自費出版は、きちんと出版のレールに乗せるべきだ。
たとえ少部数でも、読んでもらいたい、知ってもらいたい、
生きた証や創作を残したい。

この尊い想いと営為こそ出版の価値なのである。そこに買ってもらう、
売るという売買が成立する。これを原点にすえれば、
企画にしろ自費にしろ、おのずと印刷との境界は鮮明になる。
とすれば、言葉としても、自費というお金だけでくくる表現は
本質的に誤りと断言できる。
個性とか個人とか自分という言葉が未来にむけた表現としてふさわしい。

こんな意見はごく少数で、世の大勢からすれば異端となろう。
が、アウトローの異端にこそ真実がある、というのが
歴史の教えるところである。

やがて異端が趨勢になる。
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結局は自費出版[1]

始めはかすかながらも夢を描き、評価に期待も膨らませて送ったものの、最後は自費出版となる事例をいくつも見てきた。
それでもお金があって出せればまだ幸せだ。
ただし書店にならべても遜色のない出来で満足できたかは別だが。

むしろ逆に予算的に無理で断念せざるをえないという原稿が相当数あるだろう。安くても百万、平均すれば二百万が中央のおよその相場なので、そうならざるをえない。
これは東京出版村のため地方に受け皿がないためでもある。
中央の地方蔑視は地方に力がないからだが、少数ながらも優能な編プロ
や出版はいる。

しかし現実には商売になりにくいので、これに力を入れられないというのが実態である。信州もそうだがどこも、自費出版は新聞社、印刷会社、広告・デザイン関連などが名乗りをあげ、業態を越えた過当競争になっている。

出版と印刷の垣根が不透明になるのはこの結果によるだろう。作者ひいては市場にとってこれはじつに迷惑なことだが、背景は東京出版村にある。
出版は文化を形成する重要な仕事とはいえ、敷居が高い、わかりにくい。また自費出版の定義がない。

これらがその原因をなす要素である。

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