結局は自費出版[2]
さらに紙媒体のため完成品が印刷と重なる地方ほど
この影響が大きいと思う。作るという点からいけば、
これに関与するものはだれでも参入できる。
が、そもそも出版は印刷とは異質の事業である。
過去、現在、未来の社会の姿を表現するのがその本道であり、
印刷は表現手段である。すくなくともそのすべてではない。
たとえばブログも印刷とは違った一つの表現方法と言える。
つまり、印刷もブログも、それ自体では出版とはならない。
自費出版は、きちんと出版のレールに乗せるべきだ。
たとえ少部数でも、読んでもらいたい、知ってもらいたい、
生きた証や創作を残したい。
この尊い想いと営為こそ出版の価値なのである。そこに買ってもらう、
売るという売買が成立する。これを原点にすえれば、
企画にしろ自費にしろ、おのずと印刷との境界は鮮明になる。
とすれば、言葉としても、自費というお金だけでくくる表現は
本質的に誤りと断言できる。
個性とか個人とか自分という言葉が未来にむけた表現としてふさわしい。
こんな意見はごく少数で、世の大勢からすれば異端となろう。
が、アウトローの異端にこそ真実がある、というのが
歴史の教えるところである。
やがて異端が趨勢になる。
この影響が大きいと思う。作るという点からいけば、
これに関与するものはだれでも参入できる。
が、そもそも出版は印刷とは異質の事業である。
過去、現在、未来の社会の姿を表現するのがその本道であり、
印刷は表現手段である。すくなくともそのすべてではない。
たとえばブログも印刷とは違った一つの表現方法と言える。
つまり、印刷もブログも、それ自体では出版とはならない。
自費出版は、きちんと出版のレールに乗せるべきだ。
たとえ少部数でも、読んでもらいたい、知ってもらいたい、
生きた証や創作を残したい。
この尊い想いと営為こそ出版の価値なのである。そこに買ってもらう、
売るという売買が成立する。これを原点にすえれば、
企画にしろ自費にしろ、おのずと印刷との境界は鮮明になる。
とすれば、言葉としても、自費というお金だけでくくる表現は
本質的に誤りと断言できる。
個性とか個人とか自分という言葉が未来にむけた表現としてふさわしい。
こんな意見はごく少数で、世の大勢からすれば異端となろう。
が、アウトローの異端にこそ真実がある、というのが
歴史の教えるところである。
やがて異端が趨勢になる。
全国販売の虚実[2]
こんな環境下にある取次の取引条件はまことに厳しく高い。
地方のほとんどは仕方なく小さな取次を選ぶしかない。
それでも全国へ供給できればよいが、主は注文なのでそうはいかない。
あげくには大手2社経由でそのマージンまで獲られる。
このスキームを破るのは容易でない。従来型の方法では 不可能にちかい。
企画はむろん、自費出版もしかり。
割り切って地域と可能な範囲の全国にするしかあるまい。
壊すのはネットだ。
地方のほとんどは仕方なく小さな取次を選ぶしかない。
それでも全国へ供給できればよいが、主は注文なのでそうはいかない。
あげくには大手2社経由でそのマージンまで獲られる。
このスキームを破るのは容易でない。従来型の方法では 不可能にちかい。
企画はむろん、自費出版もしかり。
割り切って地域と可能な範囲の全国にするしかあるまい。
壊すのはネットだ。
評価さえ遠い夢
これでいったん執筆を中止しようと決め、原稿は東京の出版社に売り込もうと考えた。4百字詰で4百枚のかなり大部な原稿だった。内容や文章には自信があったが、企画はどうか疑問だった。
内容に自信はあっても、本として売れるとはかぎらない。自信のある人ほどその作品に思い入れが強く、それが災いして第三者の批評は拒絶してしまいがちだ。思いの丈につれて売れるという思い込みも生まれる。こういう落し穴に私もはまったことがあった。それで編集者の評価を求めた。
実名は伏すが二、三の出版社に問い合わせた。ある知り合いの編プロの社長にも原稿を渡し検討してもらった。
いずれも東京である。東京の出版社から出したかったし、そこでの評価を願った。ズブの素人ではないから敷居の高い名だたるところは避けた。企画だから自費出版の版元も外した。
しかし、原稿の持ちこみや送付さえ断られた。検討にだまって3カ月以上かかるが、それも約束はできない。その社に関わりのある作家やライターの紹介なら考えてもいい。
これが答えだった。評価どころか歯牙にもかけない返答を突きつけられてしまった。唯一「文章力がある」と言ってくれたのが編プロの社長だったが、それは今更言われずともこれまでに評価されていることだ。内容と売れるかについて批評してほしかった。
結局のところ、何の収穫もない、あっけない結末に終わった。その後、企画の自己学習を積むなかで、またこの1年ほど幻○舎グループの個人出版という自費出版に関与してきて、私の受けた憂き目の底にある事情と背景が徐々に霧のはれるようにみえてきた。その当時はまだそれがふかい闇の中にあった。
内容に自信はあっても、本として売れるとはかぎらない。自信のある人ほどその作品に思い入れが強く、それが災いして第三者の批評は拒絶してしまいがちだ。思いの丈につれて売れるという思い込みも生まれる。こういう落し穴に私もはまったことがあった。それで編集者の評価を求めた。
実名は伏すが二、三の出版社に問い合わせた。ある知り合いの編プロの社長にも原稿を渡し検討してもらった。
いずれも東京である。東京の出版社から出したかったし、そこでの評価を願った。ズブの素人ではないから敷居の高い名だたるところは避けた。企画だから自費出版の版元も外した。
しかし、原稿の持ちこみや送付さえ断られた。検討にだまって3カ月以上かかるが、それも約束はできない。その社に関わりのある作家やライターの紹介なら考えてもいい。
これが答えだった。評価どころか歯牙にもかけない返答を突きつけられてしまった。唯一「文章力がある」と言ってくれたのが編プロの社長だったが、それは今更言われずともこれまでに評価されていることだ。内容と売れるかについて批評してほしかった。
結局のところ、何の収穫もない、あっけない結末に終わった。その後、企画の自己学習を積むなかで、またこの1年ほど幻○舎グループの個人出版という自費出版に関与してきて、私の受けた憂き目の底にある事情と背景が徐々に霧のはれるようにみえてきた。その当時はまだそれがふかい闇の中にあった。
ブログは自分出版[2]
みなさんも見てほしいと想ってブログを書いているのだろう。
とすればそれが、日記風であれなんであれ、また小文とその更新であろうが、
その行為は間違いなく一つの出版である。
自由な個人の自由な自費出版と言えるだろう。
これはひとことで言えば自分出版だ。
しかもネットはオープンだ。だれでも自由に見れるし、評価や批評もできる。
ここに最近のブログ出版ばやりの秘密がありそうだ。
むろん、たいがいは版元が責任を負う企画出版であろう。
ところが、既成の出版はじつに不自由きわまりない閉鎖的な世界なのである。
この壁にぶちあたった。
とすればそれが、日記風であれなんであれ、また小文とその更新であろうが、
その行為は間違いなく一つの出版である。
自由な個人の自由な自費出版と言えるだろう。
これはひとことで言えば自分出版だ。
しかもネットはオープンだ。だれでも自由に見れるし、評価や批評もできる。
ここに最近のブログ出版ばやりの秘密がありそうだ。
むろん、たいがいは版元が責任を負う企画出版であろう。
ところが、既成の出版はじつに不自由きわまりない閉鎖的な世界なのである。
この壁にぶちあたった。
初めましてSumiです
信州学研究家・ノンフィクションライター、
クリエイティブディレクター。プロデューサー
そして信州で唯一の編集プロダクションを経営しているSumiと言います。
このブログでこれから「人間・個人Sumi」として
「業界の裏側」「経営者」「ライター」「ジャーナリスト」として
様々な切り口で出版業界について斬っていきたいと思います。
リンクフリー、トラバ歓迎ですのでお気軽にお立ち寄りください。
業種、肩書きにとらわれない様々な方との広い交流を望みます。
・ 1947年、長野県駒ヶ根市に生まれる。
早稲田大学第一 文学部中退。
・新聞社、印刷会社勤務後1976年に独立、
現在の(株)クリエイティブを創立。
・ 1995年から雑誌を主宰。
『デイリーヴォイス』、『信州伊那谷』、『悠遊』に執筆。
・ 主な著書:阪本天山、田中康夫の真相、
揺れる「脱ダム宣言」、ほんとうの信州
・ 主な活動:執筆、講演、コンサルティング
クリエイティブディレクター。プロデューサー
そして信州で唯一の編集プロダクションを経営しているSumiと言います。
このブログでこれから「人間・個人Sumi」として
「業界の裏側」「経営者」「ライター」「ジャーナリスト」として
様々な切り口で出版業界について斬っていきたいと思います。
リンクフリー、トラバ歓迎ですのでお気軽にお立ち寄りください。
業種、肩書きにとらわれない様々な方との広い交流を望みます。
・ 1947年、長野県駒ヶ根市に生まれる。
早稲田大学第一 文学部中退。
・新聞社、印刷会社勤務後1976年に独立、
現在の(株)クリエイティブを創立。
・ 1995年から雑誌を主宰。
『デイリーヴォイス』、『信州伊那谷』、『悠遊』に執筆。
・ 主な著書:阪本天山、田中康夫の真相、
揺れる「脱ダム宣言」、ほんとうの信州
・ 主な活動:執筆、講演、コンサルティング
